楽に断酒しましょう!💖

断酒していく自分の姿や、その時々の思いを記録していきます。皆さんのご意見いただけたら嬉しいです。

断酒45日目 飲酒欲求を抑える

断酒してる時、飲酒欲求が出てきた時に有効な方法を、自分の経験から少しお伝えしていきたいと思います。

== 今日は「回想法」 ==

といっても、よくある幼少期の頃から今までの人生を思い出す内観療法ではありません。
私のは単純、かつ効果的な方法です。

飲んでいた直近の頃の自分を思い出すのです。

1年前の自分を思い出すと言うのも効果的だと思いますが、正直言って思い出せません。

私の場合、1年前の今日は確実に飲んでました。年末だし。
しかし記憶がぶっ飛んでまして、思い出せないのです(笑)

去年の年末年始は、ほぼ連続飲酒で、起きている時はアルコールを身体に注入してました。気絶するまで飲んで、起きたらまた飲む。
その繰り返しでした。

もちろんブラックアウト。思い出せるのは、大晦日に家内と除夜の鐘をつきに近くのお寺に行ったこと。そこで振る舞い酒を飲んだこと。ゆく年くる年をなんとなく見てたこと。くらいです。

1年前の自分を思い出して、今の自分と比べるのは私には無理です(笑)
思い出せる方には有効な方法だと思います。

さて、飲んでいた直近のこと。人それぞれだと思いますが、私の場合2ヵ月前の10月26日は確実に飲んでました。

週末の金曜日で、帰宅後、なんの制約?もなく思いっきり飲んでました。
細かいとこはブラックアウトしてるので、覚えてませんが、翌日土曜日も半日仕事があったのに「大した仕事じゃないから、明日の朝、電話一本入れて休もう」と勝手なことを考えて飲んでました。

アル中にありがちの「勝手に欠勤」です。
酒が中心の生活になってますから、飲むための理由をこねくり回して飲みます。

よくあるのが「月曜日の風邪欠勤」これは長くて二日しか使えません。
金曜の夜から土日と飲んで、月曜の朝最悪な状態で起きて、職場に一本電話。
「風邪ひいたみたいなので、お休み頂けませんか」
で、また飲み始める。

まあ、大人として、クズですね。

話を戻しますが、飲酒欲求が出た時に有効なのは、直近の飲んでいた時の自分を思い出すこと。
翌日の体調とか、通勤電車の中の気分。
出勤した時のダルさ加減。昼までの二日酔い。頭がぼーっとしていて、NHKのチコちゃんに
「ぼーっとしてんじゃねえよ!!」と怒られそうな自分。

夕方になると体調も回復してきて「さて、今夜のツマミに何買って帰ろうか」とか考えていた自分。

帰宅後「とりあえずビール!!」350㎖の缶ビールを開けてゴクゴク。その後は焼酎の水割り。
いつものパターン。

情けないですね。

今は断酒して、食欲あって下痢もなし。朝はスッキリ。仕事は朝から絶好調(でもないけど)。

と、まあ、飲んでいた直近の自分を思い出す方法です。

これならリアルに思い出せるのではないでしょうか。

「それでも飲みますか?」

まあ、飲まないでしょうね。

お試し下さい。

(*´▽`)ノノ


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断酒44日目 入院中のこと③

入院すると普通の病気の場合、身の回りのことは病院の人がやってくれる。
アル中病棟では、掃除や洗濯など、身の回りのことは全て自分でやる。

当番も決められて、洗面所やトイレの掃除、ラジオ体操の指導(前に立つだけ)、ロビーの掃除など、やらされる。

-- お金払ってるのに・・・

休憩時間に外出する時は、ナースステーションの前に置いてあるノートに、名前と出た時間・帰って来た時間を記入する。
外出したまま居なくなってしまう人がいるらしい。

精神病院は大抵駅から遠く離れた辺ぴな場所にあるから、外出しても何も無い。
ここもそうだった。

コンビニまで歩いて15分。
往復すると30分かかる。30分しか休憩時間がない時には行けない。
仕方がないので、病院の購買で買い物を済ます。
この購買店がまた小さい。コンビニの1/50くらいの広さで、扱う品物も極端に少なく、おまけに高い。

1時間の休憩時間を狙って、コンビニか、もう少し足を伸ばして業務スーパーで買い物をしていた。

業務スーパーという所を入院して初めて知った。
実に安い。
退院後も近所で探してよく行っている。

入院中のお金は基本的に自己管理になっており、管理出来ない重症な人はナースステーションに預けていた。

外出すると、時々酒の虫が騒ぐ人がいて、良からぬ物(酒)をこっそり買ってくる人がいるらしい。
だから、帰ってきたら、必ず手荷物検査をされる。
買ってきた食べ物の成分表示までチェックされる。
ある時、おにぎりを没収された人がいた。
理由は成分表示に「酒精」と書いてあったからだ。
「酒精」って何かの調味料じゃないの?
「酒」の文字には「病気かよ!」と言うほどナースは過敏になっている。

外出といえば、コンビニで酒買って飲む人もいるらしい。
外泊からのんて帰ってくる場合が多い。
そういう場合、通称「ガッチャン部屋」と呼ばれる3階にある個室に24時間監禁される。
入院中、ガッチャン部屋へ送られた人が何人かいた。

入院中の話は吾妻ひでお「アル中病棟」に詳しく書かれている。
知りたいお方はご一読下さい。面白いですよ。
下記参照
↓↓↓

朝の9時から夕方の4時まで、アルコール酒害の講義やミーティングがあり、まるで学校か更生施設みたいな暮らしだった。

息抜きは休憩時間の買い物とタバコ。
そういえば喫煙者が多かった。
みんな依存体質なのだ。
ナースも喫煙者が多かった。
精神科病棟はストレスが多いのだろう。

食事はまるで給食。
栄養を計算しているのだろう。運ばれてくるトレーには名前の札とカロリーが書かれていた。

「魚が不味くて食えない!!」と言ってナースと散々揉めて、無理やり退院していった人がいた。

-- 大人なのに・・・・・・

こんな雰囲気で入院生活を送った。



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断酒43日目 MerryX'mas

🎅🎄🎁MERRY CHRISTMAS🎅🎄🎁

今日はクリスマス!

入院記事はお休みして

🎄✨Merry X'mas✨🎄

気分だけワイン!

ノンアルコールワイン(ノ´▽`)ノ♪🍷

みなさん、クリスマスを楽しんでますか?

では、今日はこれで、失礼します。

(*´▽`)ノノ 🍷


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断酒42日目 入院中のこと②

3階(閉鎖病棟)には普通1週間いることになっていた。しかし、回復が良かったのか、そんなに重症ではなかったのか、私は5日目に2階(半解放病棟)に移ることができた。

入院する前は、シャバ?の主治医からこの病院は解放病棟だと聞かされていたのに。
半解放病棟(私が名付けた)とは、決められた時間だけ外出が可能。それ以外は施錠されて、勝手に外には出られない。

月曜から金曜まで起床時間から消灯時間までスケジュールがキッチリと組まれていた。まとまった自由時間は夕食から就寝(外出不可)くらい。
プログラムの合間に30分〜1時間ほど外出することはできた。午前中に1回、午後2回くらいしかなかった。

2階に移ってすぐに主任看護師に個室に呼ばれた。
2階はアル中が大半を占めており、ここでの注意事項を言われた。
ここでの心得として、私は書きとめることにした。

・他人の目を気にしないこと。誰もあなたに興味を持っていない。
・自分の回復の事のみ考えること。
・他の人の行動を見て、アル中とはどういうものか学ぶこと。
・ミカン一つでも他の患者からは貰わないこと。後でお金を請求された事例がある。
・どんな物でも貸し借りは禁止。トラブルになる。
・冷蔵庫の中のペットボトルは名前を書いておくこと。しかし飲まれてしまうことを覚悟しておくこと。
・メールアドレス、電話番号、住所は決して教えないこと。退院後、アルコールを飲み、豹変して家に押しかけてきた事例がある。
・アルコールが抜けて素面とはいえ、みんなアル中思考はまだ変わっていないので、言動に注意すること。
・地獄を見たければ、アル中の家族を見ろと言われている。

こんなことを言われたらビビる。絶対に自分の住所や職業は教えないよう決意した。

2階に移り、3人部屋になった。
他の二人ともアル中ではないようだった。

一人は30代半ばくらいの青年。
一日中寝ていた。本当に寝ていた。これが病気なのだと後で本人から聞いた。
家には小さな女の子と奥さんがいるという。がっしりした体格で、顔つきや言動は穏やかだった。学生時代ラグビーの選手だったという。

もう一人は60代半ばの老人。鬱だそうだが、やたら世話好きで元気な老人だった。夜中のいびきには閉口したが。

まあ、怖い人系ではなく、安心した。

部屋を移ったばかりなので、プログラムは明日からということもあり、何もすることがなく、読書して過ごした。

心待ちにしていた休憩時間(外出可)が来ると、ナースステーションでタバコ一式と携帯を持って外へ。
看護師さんが
「そこを少し行くと小さな公園があるから。みんなそこでタバコ吸ってるわよ♪」と教えてくれた。

早速足早に病院を出た。歩いても歩いてもその公園が見つからない。
国道に出てしまった。
(あまりにも小さい公園だったのて、入り口を見落としたのだが・・・)

「仕方ない。時間もないし、ここで吸おう」
一服。
強烈なめまいがした。
立っていても足元がふらつく。
たった一服で酔ったようになり、その場にしゃがんでしまった。
(私はPeaceLightを愛飲していた)

「たった4日間禁煙していただけなのに」

「タバコをこの時止めていれば」と今更思っても仕方がないけど。


夕食。
目の前には怖い系の男。その横には長髪で髭ボウボウ年齢不詳な男。私の横には暇さえあれば読書に精を出している、お家の無い系の男が座った。

テーブルには白いビニールテープが貼られ、その上に名前が書かれていた。
座る席も決められていた。
どうやら精神の人(アル中以外)と性格別に区別しているらしい。

他のテーブルを見てみると、中年男性がほとんど。女性が4人。男性11人。
中に20代の、明らかに拒食症と思われる女性がいた。この子は真夜中になると、ホールに出てきてお菓子をいつも食べていた。
男性は怖い系と思われる人が半分。
(後で、とてもいい人たちだと分かる)

ビビりながら2階での生活が始まった。

病棟の作りは三階と同じだったが、窓が開かないのは同じだった。





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断酒41日目 入院中のこと①

4年前の6月末に入院しました。
忘れないように、当時のことを思い出して記録してみます。

= 入院初日 =

精神病院なんか、一生縁がないと思ってた。
まさか自分が・・・
しかもアル中でなんて。
崖っぷちに立って、今にも落ちそうな感じだった。

午後2時過ぎに入院。
まずは荷物検査。
刃物類、紐類は退院まで没収。
自殺予防のためとか。
携帯、タバコ、ライターはナースステーション預かり。
その後、担当看護師との面談。

「あなた酒臭いよ。ちょっと来て。」
とナースステーションに呼ばれた。
昨夜、最後の酒と思い、別れの酒を飲んだのが残ってたのか。
呼気検査。
アルコールを飲んで来たかの検査。

「出ないわね、おかしい」

- - 出るわけないでしょ。計算して飲んだのだから。

最小限の荷物を持って病室へ。

二人部屋だった。相方は若そうな青年だった。
どんな人たちがいるのか見に、ホールへ行ってみた。

塗り絵に没頭している中年男性がいた。
- - 何で塗り絵?

目の焦点の合わない女性が座っていた。

一人、ぶつぶつと小さな声で呟いている人がいた。

廊下を何度も何度も往復している人がいた。

ムームーを着ていた中年女性が
「医者に殺されるから、親に遺言を書く」
と言って泣き叫んでいた。


10数名いた。ホールは南側が窓一面になっており、とても明るかった。しかし窓は開かない。
病室の窓は開けられるが、開いても5cmくらい。これも飛び降り自殺防止のためらしい。

夕方ベッドで横になっていると、同室の青年が開かない窓をめいっぱい開いて
「やめてください!!」
「やめてください!!」
と外に向かって叫び始めた。

- - なんだ、こいつ!

驚いてナースステーションに行き、様子を伝えた。

後で分かったが、この階(三階)は入院初期の軽度の精神病患者もアル中と一緒にいるのだった。
アル中より精神の人(私らはアル中以外の人をそう呼んでいた)が多かった

突然叫び出す青年とは一緒に居られない。
看護師に頼んで、病室を変えてもらった。

病室には鍵はかけられていなかったが、外へ通じるドアは常に施錠されていた。

閉鎖病棟

夕食は一つのテーブルに5〜6人座り食べる。8テーブルくらいあったかな。
大型テレビが天井に吊ってあり、消灯まで付いていた。

- - テレビなんてつまらん。
私は病室に帰り、iPodのイヤフォンを耳に付け、持って来た本を読んで過ごすことにした。

- - ここで3ヶ月。耐えられないのでは?

こんな感じでアル中病棟での入院生活を始めることになった。




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断酒40日目 体調が良いです

断酒40日になりました。
1番辛かったのは初日と最初の3日間でした。
離脱症状が酷くて、寝てるか断酒動画を見てるかでした。

小太郎さんの動画に出会って、考え方を変えることで、だいぶ楽に乗り切ることが出来ました。感謝🙏🙇

2週間くらい経つと、体調の変化に気付きました。
体重の増加。下痢しなくなった。朝が起きやすい(ぐっすり眠れる)。歯磨きしたあと、口内がスッキリ。仕事も午前中から快調。声がハッキリと大きくなった。何か自信を持って行動できるようになった。お風呂から出たあと、身体を拭いて下着を付けたとき、肌のサラサラ感がする(忘れていた感覚)。

いい感じです。

それが断酒を続けていると、ドンドン強まってきました。
やめてよかった。

これを読んで下さっているお方、断酒を始めようとお考えの方、最初の1週間くらい頑張れば、大分楽に断酒できますよ。

さて、飲酒の量と年数によって人それぞれですが、肉体的な離脱症状の苦しみは必ずあります。
これは仕方がない事ですので、耐えて下さい。
風邪だって熱が出ますよね。それはウィルスを撃退するための反応ですから、アルコールも同じです。
元の健康体に戻るために、肝臓さんを始め、身体全体が頑張ってくれているので、ありがとうと感謝しましょう!

40日経った今、飲酒欲求が無くなったかというと、完全には消えてません。
ただ、身体が生物的に要求してくることは無いです。
精神的依存によって、欲求が出ることはあります。

「1ヶ月やめたのだから、少しくらい飲んでも大丈夫じゃない?」とか
「みんな晩酌くらいしてるんだから、量を決めて飲めば平気さ」とか
「飲み方に注意して、休日前だけ飲めばいいんじゃない?」とか

色々と脳の報酬系が屁理屈を並べ立てて、飲む方向に持って行こうとします。

断酒している人はみんなそうです。

これに負けて飲んでスリップ。
そして元の木阿弥がお決まりのコース...♪*゚


この囁きは長くは続きません。


この時、威力を発揮するのが「理論的に断酒する」です。
(詳しくは小太郎さんの動画をご覧下さい。下にリンクを貼りました)


「酒はリラックスさせてくれる」
「酒は美味しい」といったものは刷り込まれた幻影にしかすぎません。


「飲んでた時、お前はどうなってたか?」
「コントロールして酒、飲めていたか?」
「適当な所で、切り上げられたか?」
「嘘ついて、仕事休まなかったか?」
「飲んだあと、お前は何をした?」
「だいたい、飲んでた時の記憶があるのか?」

と、自問自答すると答えは一つ。

「ダメじゃん、俺って」

そして「酒=毒物」という酒の真実をイメージします。


スっと欲求は消えていきます。


私の主治医は
「最初から飲まなきゃ良かったのよ。タバコもそうよ。私は最初から手をださなかったわよ」
とシレッっと言います(主治医は女医さんです)



(こんな美人ならいいのに・・・)


朝はスッキリと起きられるし、仕事も快調にできる。
いいことばかりです。


断酒を迷っているお方、離脱で苦しいお方、
酒への間違ったイメージを捨てて、酒の真実を知り、頭を切り替えましょう。
病院に行かなくても、楽に断酒できます。


小太郎さんのオススメ動画です
↓↓↓
https://youtu.be/uThZ5Usmdkc

こっちは笑えます
↓↓↓
https://youtu.be/LVILFPjNiUQ




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断酒39日目 飲み始めたきっかけ

お酒を飲み始めたきっかけ。

父が死んだ事でした。
私が高校三年生の時でした。
父は酒乱で典型的なアル中でした。
死んだ原因は飲みすぎによる胃潰瘍→癌でした。

死んだ時、正直いって、ホッとしました。
これで静かな生活がくる。と。

アル中は可哀想なものですよね。
自分の子供からこんなふうに思われるなんて。

葬儀が一段落したとき、親父は日本酒飲んでたなぁ。
と、酒屋に行って親父が飲んでた日本酒「國冠」五合瓶を買って飲んだのが最初でした。

味なんてよく分かりません。ただ、何となく飲みましたね〜。
酔って寝てしまったと思います。

翌日も夕方になって、買って飲んで。
翌々日も・・・

とんでもない高校生でした(笑)

まあ、毎日飲む訳にもいかず、そのままなんとなく止めてしまいました。

本格的に飲み始めたのは卒業して、浪人してからです。
とんでもない浪人生ですね(笑)

バイトしながら、バイト仲間とよく飲んでました。稼いだバイト代はお酒に消えてたんじゃないかな。

飲みながら勉強して、勉強しながら飲んでました。
ほとんど日本酒ばかりでした。時々ウィスキー。

大学に入り、アパート暮らしになると、飲酒はさらに増して、その頃は2リットル入りのサントリーREDを飲んでました。
安くてアルコール度数が高かったから。

もう、この頃から飲み方が変でしたね。
大学へ行かずに、部屋で朝から気絶するまで飲み続けた日々もありました。
将来への不安や、現状への不満。
何か荒れてました。

まあ、なんだかんだ適当にバイトしたり、バイトしたり、バイトばかりの大学生活でした。

就職してからは、お酒を一時期やめてました。
やっぱり最初はね。

やがてドツボにハマって行く、酒飲み人生です。


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